「宇都宮の軌跡:歴史と文化財を訪ねて」という案内看板が、街なかに多く建てられています。
どんなドラマが過去に繰り広げられたのか。
想像を膨らます事が出来る、素晴らしい案内看板です。
という書き出しで、この地を紹介させて貰ったのが
約12年前。
過ぎ去り日年月を考えれば僅かな間でしたが、周囲は大きく変わっていました。

「宇都宮城主戸田氏の墓所」
戸田氏は江戸時代中期から明治維新までの宇都宮城主。
住宅地に囲まれた一角にひっそりとお墓が残っています。
宇都宮市花房本町。
東京街道から滝澤病院北側の路地を入っていくと、「英巌寺児童公園」の小さな入口が見えてきます。

英巌寺は1710年に戸田忠真(ただざね)が宇都宮城主になったときに建てられたお寺。
広い境内に戸田家の位牌堂や僧堂などがあったようですが、戊辰戦争で焼失。
再建されることなく廃寺に。
戸田氏のお墓は江戸牛込の松源寺にあったものを明治41年(1908年)松源寺移転のおり、ここ旧・英巌寺に改葬されました。
現在は「英巌寺児童公園」として、お墓がある一部のみ残されています。

立派な石垣に囲まれたお墓は、46代「忠恕(ただゆき)」のお墓。

亀の背に乗るように墓石が建てられています。


左側には宇都宮藩最後の城主、47代「忠友(ただとも)」の墓。

さらに左奥には、「尊次から忠明までの歴代の城主11名の名前が刻まれた墓碑」がありました。

ここ「英巌寺児童公園」のシンボル的存在といえば、戊辰戦争でも燃えずに残った「イヌツゲ」。
普通大きくならないのですが、大きく成長。
5月~6月には大きな白い花を咲かせ、人々を楽しませてきました。
が・・・。
切られてしまい、残っているのは案内板のみ。

2007年当時の写真

別の角度から。2018年の「イヌツゲ」

2007年の「イヌツゲ」

花房本町自治会の手により、何本か植樹されていました。
長い年月をかけ、大きく成長していって欲しいです。

公園の印象が変わったのは、この「イヌツゲ」以外にも大きな木が切られていたことが原因かも。
2018年、イヌツゲから公園を見る

2007年当時の光景

また公園に隣接した古い建物が壊され、宅地になっていました。
新陳代謝で街が新しく生まれ変わる中、歴史も大切に継承していければと思います。

すぐ近くに「地蔵堂」を発見。
温かい目で地域を見守ってくれていました。
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