すべてが「初体験」でした。
今まで幸運にも病気とは縁遠い日々を過ごしていました。
そんな私が初めての「入院」。
しばらくベットから動くことが出来ず、置かれた状況を理解するのにしばし時間を要しましたが・・・。
管が取れるごとに身動きが自由になり、病院内を散策する余裕さえ生まれてきました。
ここは「栃木医療センター」。
聞き覚えがない・・・という方もいるかもしれません。私もその中のひとり。
しかし以前の名前、「国立栃木病院」と聞けば栃木県民は誰でも知っていることでしょう。
平成25年4月(2013年)に、「独立行政法人国立病院機構栃木医療センター」に改名したんです。

旧名の名残が、今でも院内に残っています。
(足銀だけでなく、栃銀、ゆうちょ銀行も以前のまま)

正門そばには、この周辺の地名「宝木」の由来になった「宝の木」が今でも健在。
何と寛文十年(1670年)頃、今より約350年前の時点ですでに周囲の住民に「宝の木」と呼ばれていた老木。

金平糖のような独特の実が特徴の「コノテガシワ」という木。

明治40年(1907年)、宇都宮第十四師団司令部の設置の際に、司令部の庭木として寄贈移植されたと記してある。
戊辰戦争で焼け野原になった宇都宮が、第十四師団誘致に成功し軍都として発展する礎の地なんです。
入院中に司令部当時の名残を捜し歩いたのですが、具体的な記載があったのはこの碑のみ。
でも、門の名残をいくつか発見。

軍施設の門の写真を参照すると、煉瓦造りの同じような門が写っていました。
こちらは西南の角にある門跡。

そして東部中央、木々に覆われた場所に建つ門跡。(西部中央にもあり、私が確認できたのは計3か所)
病院内で、歴史探訪が出来るとは!!毎朝の散策が実に楽しかったです。
(「
徒然なる写真日記」というブログに詳しく載っていました。参照ください)

後日、栃木医療センターに隣接する「県立宇都宮中央女子高」に。
県教委が共学化の方針を7月上旬に公表するのが明らかになりましたと話題の女子高。
2022年度の新入生から男子の募集を開始するのだそうです。
なぜ訪れたかと申しますと・・・。

戦時中の名残「第十四師団の歩兵第六十六連隊の庖厨室(炊事場)」が現存しているんです。
イギリス積の赤煉瓦、半円アーチの窓が特徴的。現在は高校の倉庫として使われています。

ここ陸軍14師団司令部(現:栃木医療センター)から野砲兵第20連団(現宇短大付属高校や文星短大付属高校&宇都宮中央公園)までの1.4キロが日光街道の西部・西原の地に軍道として開通。
その周辺に5000本の桜が植えられていたことから、「桜通り」という名称がつきました。
戦後それらの軍用地が、作新学院、文星短大付属高校、宇短大付属高校などの私立の学校に払い下げられました。
教育機関が狭いエリアに密集しているのは、その理由から。

明治41年(1908年)、宇都宮陸軍衛戍病院として創設。
戦後、昭和20年12月に「国立栃木病院」として厚生省に移管。
長きにわたり、栃木県民の健康を守ってくれた病院です。
戦後すぐ父が結核で一年近くお世話になったのをはじめ、母や私の子供達もお世話になりました。
また敷地内に「栃木医療センター付属看護学校」があり、人材の育成にも勤めています。(お隣には保育園も)
今日から数回に分けて「栃木医療センター」に関するブログ記事を。
専門的な話は抜きで、どんな病院なのか私の目線でお届けします。
〇「独立行政法人 国立病院機構 栃木医療センター」住所:宇都宮市中戸祭1-10-37
電話番号:028-622-5241
公式HP
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