宇都宮市内から大谷街道を車を走らせ、古賀志山入口をさらに西に少し行くと一枚の公式な案内看板が。
そこには「国登録 小野口家住宅」と書かれている。
その案内を頼りに脇道を入ると見事な大谷石で作られた長屋門。
車を止めてしばし見入ってしまいました。
現在も住宅として使用しているので、敷地内には入れませんが外観だけでも一見の価値がある建物です。

縁あって、中を見学させていただく機会を得ました。
それもご当主自ら案内してくださると。
説明看板より〜
小野口家は、江戸時代より名主を務めた旧家である。母屋を囲むように長屋門や蔵など6棟の石造建築物が並び、宇都宮近郊における典型的な豪農の屋敷構えを残している。
各建物は江戸時代の文政8年(1825)から明治・大正時代にかけられて建てられた。この地方で産出される大谷石のほかに、通称「田下石(多気山麓で採掘)・「石橋石(日光市板橋で採掘)」などの石材を用いて巧みに造られ、デザイン面からも優れたものとなっている。

6棟すべてが国登録有形文化財に登録されたのが平成11年(1999)。
平成18年(2006年)には石塀壱基が追加登録されています。
芝生の庭を進み、長屋門の中に入っていきましょう。

お城の中に入っていくようなドキドキ感。

各所に説明プレートが設置されているので、詳細までよく理解できました。
この長屋門は明治9年(1876)に作られた板橋石石蔵。今は瓦葺ですが、造った当時は屋根も石葺だったとのこと。

石葺の屋根を支えるために、立派な柱や梁で支えられていました。

内部は現在、画廊として利用されています。

見事な鯉が泳ぐ池を渡って行くと・・・。

江戸後期に建てられた「前の蔵」。田下石貼の蔵。
木々に囲まれ、風情を感じます。

敷地の小高い場所に、八幡宮が祀られていました。

その中の一棟に、平安時代に作られた榧材の一本造りの「薬師如来像」。
大谷寺、多気不動尊、古賀志山・・・この周辺は、古くから信仰の深い場所だったのでしょうね。

明治5年(1872)に建てられた「車庫と物置」。大谷石の薄板貼造

造った当時は酒蔵として使われていたとのこと。
酒樽が残っており、当時の様子が伺えます。

文政8年(1825年)に建てられた「裏の蔵」。小野口家のなかでは建築年代が最も古い建物。大谷石の薄板貼造。
のちに、かつての母屋大玄関車寄せの唐破風庇が取り付けられ今の姿に。
最初からこの姿だったのではと思うほど、実に風格があります。

明治後期に建てられた「車庫と物置(旧堆肥舎)」。大谷石積石造
一部改装がされており、外のトイレとして使われています。

そして長屋門に隣接して建てられた「休憩室(旧乾燥小屋)」、大正後期。大谷石積石造。
これに明治期に作られた大谷石の石塀も国登録有形文化財に登録されています。
一箇所で7つもの国登録有形文化財を拝見できるとは・・・。
圧巻でした。

敷地内に古賀志山からの清流が。
これらの建物が造られた当時から、流れを絶やすことなく今に至っているのでしょうね。
小野口様、お忙しい中私達のために時間を割いていただき誠にありがとうございました。
○小野口家住宅住所:宇都宮市田野町885
公式HP
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